今日の目的は、清洲城だった。
正直、今までお城に興味がなかった。
でも犬山城を見てから、「話を聞く」のと「実物を見る」のとでは、受け取る情報量がまるで違うと知った。
日本人なら誰でも知っている人物が、過去に同じ場所にいて、
全く同じとは言えないけれど、近い景色を見ることができる。
この道を歩いたのかな?
この景色を見たのかな?
そう想像するだけで、感動が生まれる。
たぶん20年前に経験しても、今と同じ感情にはならなかっただろう。
今この年齢、このタイミングで経験したからこその感情なのだと思う。
本と同じで、出会うタイミングは重要で、そして必然なのかもしれない。
今日のルート:清洲城 → 休憩所 → 清須市はるひ美術館(寄り道)
今日はブロンプトンで出発して、まずは清洲城へ。
見学後に少し時間が余って、近くを調べたら図書館と美術館が出てきた。
予定にはなかった。
でも、こういう“寄り道の偶然”が、意外と好きだ。
清洲城は「歴史を体感する場所」だった
清洲城の見学料は400円。
川の向かいにあるお土産屋さん兼休憩所の前に駐輪場があったので、そこにブロンプトンを停めた。


門をくぐると日本庭園が広がり、砂利は枯山水として手入れされていた。
受付をして中に入る。

1階:鎧兜・太刀・槍——“使われた歴史”の重さ
一階には鎧兜や太刀、脇差、槍などが展示されていた。
室町時代の物だが、未だに鈍い輝きを放っている。
中には刃こぼれのある太刀があって、
「飾りじゃなく、戦で使われていた」という事実が一気に迫ってくる。
2〜3階:当時の暮らしが“分かる展示”で普通に楽しい
二階・三階は当時の暮らしなどが自動音声で説明されていて、普通に楽しめる。
天守閣:想像以上の高さと、信長の視線
最上階の天守閣に行くと、想像してたよりも高く、足がすくむほどだった。

信長はここから城下を見渡していたのだろう。
今では新幹線が見えるお城だけど、当時の信長は何を思い、何を見ていたのだろう。
寒い日の「100円ホットコーヒー」が、寄り道のスイッチになった
見学を終えて時計を見ると、まだ少し時間がある。
風が強く寒かったので、休憩所でホットコーヒーを飲む。セルフで100円。


暖かい休憩所の椅子に座ってコーヒーを飲みながら、ふと思った。
「せっかくだし、近くに何かないかな?」
調べたら、清須市図書館と清須市はるひ美術館が出てきた。
取り敢えず行ってみよう。
清洲城からは2、3kmほど。図書館と美術館が、公園も合わせて一緒になっている感じだ。
清須市はるひ美術館で、辻邦生の展示に出会った

まず美術館を覗くと、ちょうど展示がやっていた。
「辻邦生生誕100年 辻邦生と辻佐保子 ふたりが見つめた光」
正直、辻邦生という名前をその時まで全く知らなかった。
でも折角なので見てみることにした。
“作品”というより、“積み重ねてきた時間”が並んでいた
写真、スケッチ、旅の記録、そして留学中から描き合った絵手紙「MANGUA(マンガ)」など、
“ふたりが積み重ねてきた時間”がそのまま並んでいる感じだった。
完成品を見せるというより、
生活の中で伝えたいことを文章にして、マンガにして、スケッチにしている——その過程を見ているようだった。
奥さんの辻佐保子さんが『「たえず書く人」辻邦生と暮らして』という本を書いているように、
俺が見ていたのは「作品」以上に、“書くことを続けてきた人の姿”だったんだと思う。
『辻邦生が見た20世紀末』が刺さった理由
展示の中に置いてあった本を、立ち読みした。
『辻邦生が見た20世紀末』。
ページをめくるたびに分かる。
この人、アウトプットし続けてる人なんだ。
今の時代はネットやSNSで、インプットに毎日精を出す人が多い。
別にインプットが悪いわけじゃない。
でも、それを自分の中で噛み砕いて理解し、
自分の言葉でアウトプットする人は少ない気がする。
調べたところ、この本は信濃毎日新聞の夕刊コラムに週1回、1990年8月〜1999年7月まで書き続けた文章をまとめたもの――とされている(回数は433回と紹介されていた)。
週1って軽いようで重い。それを10年は“呼吸”だ
週1って、軽いようで重い。
体調が良い週も悪い週もあるし、忙しい週も、気分が乗らない週もある。
それでも“出す”。それを10年。
これはもう、努力とか根性の領域じゃない。
生活の呼吸みたいな継続だ。
この人は、常に考え続けてた人なんだと思う。
「頑張って続けた」じゃなくて、「好きが生活を回していた」
ここが、いちばん大事なところ。
辻邦生はきっと、
「よし、頑張って続けるぞ!」って気合いでやってたわけじゃないと思う。
たぶん、好きだったんだ。
考えるのが好きで、書くのが好きで、それが当たり前の習慣になっていただけ。
つまり、“頑張って続けた”じゃなくて、
好きが生活を回していた。
これ自分の「頑張らない」って感覚と、すごく通じるものがあった。
風が強くて寒かったのに、ブロンプトンに乗りたくて出かけた
実際、今日もそうだった。
晴れてたけど、風が強くて寒かった。
普通なら「今日はやめとくか」ってなる日。
でも、ブロンプトンに乗りたくて出かけた。
苦じゃない。頑張ってる気もしない。
理由は単純で、好きが頭にあるから。
やりたい。行きたい。見たい。乗りたい。
その“好き”が先にあると、寒さは「敵」じゃなくなる。
ただの状況になる。
辻邦生の継続も、たぶん同じなんだと思う。
頑張ってるから続くんじゃなくて、好きだから続く。
続いた結果、作品になっていく。
みんな、もっと「好き」に時間を使おう
今日、清洲城に行った。
たまたま時間が余った。
近くを調べたら美術館があった。
入ったら辻邦生の展示をやっていた。
知らない人だったのに、なぜか心が動いた。
計画してないのに、ちゃんと意味が残る日ってある。
そして今日、持ち帰ったのはこれ。
みんな、もっと好きなことに時間を使おう。
頑張るためじゃなくていい。
成果を出すためじゃなくていい。
続けること自体を目的にしなくていい。
好きなことって、続く。
続いたものって、いつか自分になる。
清洲城が目的だったはずなのに、
最後に心に残ったのは、寄り道で出会った“続ける人”の呼吸だった。
今日の自分ルール(小さく持ち帰る)
最後に、自分用のメモ。
- 完璧じゃなくていいから、ゼロにしない
- 好きの種を、日常の寄り道で拾う
- 60点で出して、あとで磨く(出した人だけが磨ける)
このくらいでいい。
頑張らない。でも、続く。
次の休みも、たぶんブロンプトンに乗る。
寒くても、風が強くても。
だって好きだから。
(そしてまた、どこかで“寄り道の出会い”が待ってる気がする。)

この記事のまとめ:清洲城から始まった「続ける人」との出会い
- 清洲城は“歴史を体感する場所”だった
- 寒い日でも、好きがあると出かけられる
- 予定外の寄り道が、いちばん心に残ることがある
- 「続ける」は根性じゃなく、生活の呼吸になる
- 好きは続く。続いたものは自分になる



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